賽銭BOX

賽銭としての思考、祈りとしての日記。

2023-01-01から1年間の記事一覧

231217_続けることについて?

3か月程度も間が空いてしまった。別に誰に公開しているわけでもないのだから良いのだが、ブログを放置しているという後味の悪さだけが微妙に付き纏っていたように思う。まとまった記事を書くのが億劫というのも理由の一つだが、最近はGoogleDocで日記をつけ…

231030

ずいぶんと間が空いてしまった。やはりこうしたものを長期間続けられる人は本当にすごいと思いつつ、珍しく酔っていない頭で久しぶりに思考を書きつけていく。 お手軽に「私は狂っている」と主張出来てしまう時代に、「本当に狂う」ことはできるのだろうか。…

230910

生きる理由なんて分からない。それでもある種の人々が生きていけるのは、多分生きる理由じゃなくて死ねない理由を一つずつ積み重ねているからだ。使い古された言説だと思うが、酔った頭でそんな事を思った。 太宰治じゃないけど、他愛無い友達との約束とか、…

230909

学会で沖縄に一昨日から沖縄に来ている。対面学会は初で、急遽名刺を印刷するなど非常に慌ただしく出発した。オンライン学会しか経験した事なかったが、正直僕は対面学会を舐めていた。ポスター発表に行っても、別の人が質問していたりすると途端に尻込みし…

<線>について、いくつかの断片

最近は<線>について考えている。僕は昔、線が嫌いだった。いや、今でも嫌いだ。自宅から最寄りの駅までの、いつまでも代り映えのしない一本道。季節の移ろいにこそ敏感に反応しそれはそれでとても美しいー桜の名所は数あれど、僕は最寄り駅に至るその桜並…

台湾でランタンを飛ばしてきた話

先日、友人たちと台湾へ旅行に行った。2泊3日の旅程の割には諸々手配してくれた友人の手際がよく、ほぼ台北のみだったとはいえ大変充実した旅行になった。夜市の猥雑な雰囲気や屋台も堪能した。(臭豆腐なるものは、いざ食べてみるとそこまで不味いわけでも…

親ガチャから考える

親ガチャという言葉がある。親ガチャに外れたなどと表現されるように、親の居住地域や所得階層で子供の学力や将来の選択肢、あるいは人生そのものが決まってしまっているという感覚に裏打ちされた概念である。この概念は肌感覚ではとてもよくわかる。地方に…

非対称性に苦しんでいる

人の感情ってどうしてこんなに非対称なんだろう。恋愛をちゃんとやれている人間がとっくに通過したであろう問いに、未だに僕は囚われている。 SNSは見知らぬ人と繋がるからコミュニケーションの問題を引き起こすのではなく、むしろ見知った人とのコミュニケ…

賽銭箱としてのブログ

名前をつけるのがとにかく苦手だ。DOUTORで1時間も迷った挙句——店員の視線との戦いだった——、アイスコーヒーの濃度と引き換えにこのブログには 賽銭BOX という名前をつけることにした。文字通り賽銭箱のことを指している。漢字で賽銭箱とだけ書くと間が抜け…